1. 鳥取西高卒業
  中3の2月に父親を亡くし、育ててくれた兄の仕事の手伝い等でバタバタし、時には
 学校を休み手伝い学習時間も中々取れず、お恥ずかしながら現在の西高のレベルで
 いえば、100番前後まで成績を落としてしまい、その後30番前後までには何とか
 這いあがりました。
 兄に無理を言い、1年間浪人。学習方法を根本的に改め、5番前後になりました。
2. 大阪大学法学部卒業
  8年間在学(当時1~3回生は、各160人。
            4回生のみ350人強…大半司法試験浪人)
  当時は、司法試験が一番難しかった時期で、
                  東大1,000名受験合格100名弱。
                  京大700名受験合格者40名あまり。
                  早稲田5,000名受験合格者40名あまり。
   しかも合格者の平均年齢28~29歳でした。
  生活費は、当時有名進学塾、個人塾、家庭教師(相場週4時間-月5万円)で賄い、
 40年前で平均月収30万円-日清カップヌードル100円未満の時代。
 ・ 24歳のとき、4月に妻子を実家に預け、全てのアルバイトをやめ、勉強に専念
   しようとした矢先、7月に義父が宿泊先で転落死。経営していた会社の整理、
   借財の整理に1年間かかりました。
 ・ 26歳の春、塾長、腸閉塞で入院。翌年、妻が肺炎で一ヶ月半入院。翌々年長男
   が髄膜炎で入院。
 ・ 結果、司法試験受験を32歳までひきずってしまいました。
3. 32歳で、就職。ビジネスマン人生を歩み始めました。
 ・ 一社目社員300名ほどの株式上場めざす会社に入社。入社半年で社長直属部署
   が置かれ、私がヘッドとなり、部下3名。経営学を叩き込まれ、稟議書の事実上
   代理決裁権、重要取引条件設定権等が付与され、一部権限はNO2の専務より
   上位に。社長からの期待がます一方、当然社内からは・・・。
 ・ 司法試験には失敗したものの、実戦では滅法強く。社長からは弁護士以上の評価
   を受けていました。
   (以降どの会社でも)-好例-商事法務から書籍の共同執筆依頼も
 ・ その後、ヘッドハンティングされ、転職。
   2社目では、当時住友グループで「文書の神様」と呼ばれる役員からマンツーマン
   で指導を受け、3社目では、株式上場前の会社に入社。
   いきなり、決算書のイロハも分からない素人である塾長に上司の専務管理本部長
   兼経営企画部長からいきなり経営計画策定を指示され、猛烈なスパルタ教育を
   受けました。会社に泊まり込みで、毎日課題を出され、一週間で睡眠
   時間20時間というときもありました。文字どおり修羅場も多く経験し、諸問題
   を解決。上場申請の一週間前には、当時PL第1号事件という事件が発生。社長
   から全社員約800名に「本件については全て塾長の指示どおりに」という通達
   が出され、全権白紙委任。マスコミ100台近いカメラの前で会社を代表して会見
   (このようなこと人生で3度経験)、当時の通産省を筆頭に官公 署、ダイエー・
   イトーヨーカ堂筆頭とする当取引先3000社への声明文、また個別折衝。マス
   コミとの対応、告知文作成折衝(東京読売新聞本社では6時間以上の交渉等々)。
   結果、同種商品取り扱いしていたキリンビールの社長は引責辞任。会社は10億円
   余りの損失にとどまり、無事上場。
   塾長の形式上の上司からは当然・・・。2社目・3社目も恩師の退任とともに、
   会社退職。
4. 39歳には、職員数500名弱、病床110床、老人保健施設150
  床、デイケア100名の医療法人のNO2-COO(最高業務執行
  責任者)に就任。
   老人保健施設立ち上げ後減価償却前利益計上には通常最低3年と言われていました
   が、半年で達成し、経営力に自信を付けました。その後、理事長と、人事を巡り
   対立(部下の50代の事務長の一人に対する理事長からの解雇指示)
   なお、間接部門では極めて異例ですが、一社目初年度年収約450万円から
   毎年平均年収百万円ずつアップ、39歳で大台超え、50歳前までその調子で
   アップしていきました。…血圧も同じ調子でアップしていきましたが。
5. その後、ヘッドハントされ転職。
  ① 入社当時売上高1000億円から4年後には1600億円と急成長していた企業
    に入社。
    総務人事部門長を皮切りに、取締役総合企画部門長に就任。
    総合企画部門には、経営企画課-実質財務経理部への指示・命令権限
        人事企画課-人事制度の構築、管理職の採用、昇給昇格等人事権
              なお、部下に人事部長代行させ、人事部も責任権限下
        文書法務課-総務の中枢部分だけ管轄
        管理職教育課-定期的に役員ならびに部課長クラス約200名の教育
  ※教育では、全くシロウトの部課長に、最低限必要な法律、計算書類(B/S?PL)
   等レクチャー。如何に分かり易く教えるか腐心。瑕疵担保責任等平易に解説。  
   ちなみにこれらの権限、オーナーからの命令によるもので、リクルート社からは、
   これだけの規模の会社で、一人の役員にそれだけ権限責任が集中することは稀有
   なことだと言われ、「大老」と仇名されていました。
   この間、体操でいうG難度の離れ業をいくつも連発した結果です。 
   一例→創業40年来の人事給与制度を文字通り全面企画刷新(目標管理型成果主義
      導入)3年かけて、段階的に実施(オーナー含めて全員唖然)
      結果→社員年収平均40%アップ、パート社員平均時給30%アップにも
         関わらず、売上高人件費比率1%削減(約15億円)
         →○○マジッックと絶賛。
  ② その後、常務となり、盟友の専務と赤字子会社再建に。
     正式職名-構造改革担当兼管理経営企画部門長
     四年半で、売上高200億円→230億円
          経常利益赤黒トントンから50億円超に
          顧客満足度70%弱→90%超
          社員年収平均70%アップ、パート社員平均時給50%アップ
  ビジネスで成果をあげた根本は、発想転換によるリエンジニアリング能力と
  計画性にあります。オーナーの引退と共に、役員ほぼ総入替退任→当該会社3年後
  事実上経営破綻。ちなみにオーナー高卒。後継者娘婿京大法学部卒 
6. その後、数社で執行役員経営企画部長兼管理本部長
7. 2011年から知人(売上1500億企業副社長)と共同で会社
  設立準備
  台湾の実業家数名から資本金8000万円の出資が決定。払込期日の2週間前
  東日本大震災発生。頓挫しました。
8. 姉から、鳥大生相手の公務員講座開設を持ちかけられ帰鳥しました
  が、思っていたほどにはニーズなし。鳥取の塾の実情みて、成算を
  確信、6年前に起業し、現在に至ります。
  生徒の成績アップの秘訣は、発想転換によるリエンジニアリング能力と計画性
  にあります。

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